平城京の遷都に伴い養老2年(718)飛鳥にあった法興寺をこの地に移したのが「元興寺」である。天平勝宝元年(749)諸大寺の格付けが行われ、東大寺の4千町歩に対し、元興寺は2千町歩、大安・薬師・興福が1千町歩、法隆寺・四天王寺が5百町歩と定められました。南都七大寺の一つとして隆盛したが室町時代には火災で伽藍の大半を焼失した。
当時の伽藍を偲ぶものとしては、東大塔跡(史跡指定) 西小塔院跡(史跡指定)極楽堂(国宝)禅室(国宝)のある極楽坊の3ヶ所がある。極楽坊には行基葺きと呼ぶ天平時代の特殊な重ね葺き屋根がある。 |
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