2004年4月11日 発行

2006年11月23日 更新


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後鳥羽上皇の勅額「日出先照高山之寺」で知られる当山は、七七四年(宝亀五年)光仁天皇の勅願によって開創され、神願寺都賀尾坊といったが、八一四年(嵯峨天皇の弘仁五年)、栂尾十無尽院と改称された。その後、八七六年(貞観十八年)には後の十三代天台座主となり、天神縁起絵巻で菅公の怨霊を鎮めたといわれる法性坊尊意僧正が、十一才より四年間当山で修行し、大いに法力を得たと伝えられている。
鎌倉時代、明恵上人(成弁、後に高弁と改名)が出て、後鳥羽上皇・近衛・鷹司・西園寺家等の帰依により堂坊を復興し中興開山した。明恵上人は、後鳥羽上皇の院宣によって南都東大寺の華厳を根本とし戒密禅を兼ねた寺とし、一二〇六年に勅額「日出先照高山之寺」を賜ったので、寺号を「高山寺」と改称した。【栂尾山高山寺略記より】

女ひとり 作詞:永六輔 
作曲:いずみたく 
唄:デューク・エイセス

京都 嵐山 大覚寺

恋に疲れた女がひとり

塩沢がすりに名古屋帯

耳をすませば滝の音

京都 嵐山 大覚寺

恋に疲れた女がひとり

京都 栂尾 高山寺  

恋に疲れた女がひとり

大島つむぎにつづれの帯が

影を落とした石だたみ

京都 栂尾 高山寺

恋に疲れた女がひとり

京都 大原 三千院

恋に疲れた女がひとり

結城に塩瀬の素描の帯が

池の水面にゆれていた

京都 大原 三千院

恋に疲れた女がひとり

とがのをさん こう ざん じ
栂尾山高山寺


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OLYMPUS  C-750 Ultra Zoom

photograph 大橋 幸作

2004年4月3日撮影

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